【雑記】命の価値は

日本でこうしてのんびりブログを書きつつ、酒を飲んでいるその彼方で
領土や信仰、思想、陰謀の数々を原因として、あちこちで戦争や闘争が起きています
その度に幾人もの人が死に、土地が荒れ、さらなる負の連鎖が続いていく
こうして失われている「もの」には、いったどれだけの意味があり
一体何を残していくのか
ニュースなどを見る度に虚しくなります


然りとてこの、今のところ戦争とは無縁な日本においても、人が抱える悩みや苦悩は果てしなく
ふとしたきっかけで失われる命、ふとしたきっかけで自死を選ぶ瞬間が交錯します

まぁ、一度でも「自殺」を考えたことがある自分が、こんな記事を書くのもアレなんですが
昔から考えていたこともありますんで、ちょっと雑記にしたいと思います


まず最初に
命というものを扱うと言うことは、いつ、いかなる状況、理由があろうとも、誰しもが重大な責任を負うものである、と言う考えを私が持っていることを書いておく


さて
己の楽しみのために、己の欲がゆえに
同族である存在を殺害する生物は、ハッキリしている中では現生人類だけ、と言えるかも知れない
また、悦楽のため快感のため、「捕食」のためでは無しに、他の生物を殺害するのもまた、現生人類によく見られる特徴と言えるだろう

もちろん、他の生物も生きる上で、「同族殺し」を行っている例は、あるのかもしれない
我々の視点からはそれが理解出来ないだけで、あるいはこう言った行為は生物にとって普遍的な行為である、と言う結論が得られる日が来るかも知れない
だが今のところでは、「コロシタイから殺す」という感覚を持ち、そのために行動するのは我々のみ、と感じられる
この行為が所謂「殺人・殺害」である

現生人類以前より、「捕食」を目的とする「殺害」は、ありとあらゆる生物が辿った道であり、現状の地球上の「食物連鎖」の流れにおいては、不可避な行為である
だがこれは、「食う物」が生き延びるため、「食われる物」を探して、己の栄養源とするための行為であって、悦楽や趣味に端を発した行動では無い

現生人類の祖先もまた、初期の頃は純粋な「捕食」を行い、それによって生きながらえてきたはずである
これ自体は生物としてやむを得ない業であり、高度な文明を築いた今に至ってさえ、避けられない宿命である

翻って、「同族殺し」である殺人という行為がいつ、どんな理由で始まったかは定かでは無い
だが多くの歴史学者の間では、人類が定住を行い始めた時、その資源や土地の確保のため、他集団との争いが起ったことに端を発しているのでは無いか、と言われている
が、その発端が何で有ったにせよ、これは実に特異な風習である
本質的に考えれば、人類が人類を減らすという行為は、あるいは人類全体を衰退させ、絶滅させる道に他ならない
だが「自分」を自覚し、「自」と「他」が「違う」という「感情」を持つ人類故に、己が感情を犯す他者というモノを赦すことができない「何か」が、喧嘩レベルの「殺人」から、集団同士の「戦争」を勃発させてきた


だが、それとはまるで真逆な理論で
この「同族殺し」は、文明の黎明期から今に至ってさえ忌避される、人類にとって犯さざるべき最大の禁忌の一つとされている文化は多い
個人的にオカルトにはまり、そのために色々な文化圏の宗教や理論を目にしてきたが、どのような理論や哲学でさえ、多様な種類の「殺人」を罪とし、犯さざる行為であると明記している
それらの理由は、神の法から道徳観念に至るまで幅広い
神話や宗教の話はそれとして、どのみち「殺人」や「殺害」は、「ならぬものはならぬのです」と言う言葉のように、「やってはいけないこと」であると考える

なぜならばそれは、代償の払えない、責任の取れない行為だからだ

物理世界における全ての行為は、「ギブアンドテイク」で成り立っている
自らが持つ「なにか」を差し出すことで、他から「なにか」を得ることができる
他の「なにか」を得る代わりに、自らの「なにか」を差し出す
これは生き物のみならず、現実の宇宙全体がそのように成り立っている

こうして代償を支払い合うことだけが、誰かが何かをやって良い最低の条件である
だから「盗み」は犯罪なのだ。なぜなら、その不届き者が盗もうとした「もの」にかかった経費を、その者が支払っていないからである

であるから同様に「殺人・殺害」も罪なのである
しかも、許されざる事なのである
理由は明白。「命」には、何ものをも対価を提示出来ないからだ


私は魂魄の存在を信じる
「命」が「生命活動」と同義であるかは、現代医学でも解明出来ない部分である
しかし、心臓が動き、体液が栄養を体内に巡らせ、臓器が生きながらえることが、「命」であるというのは、なんとも説得力に欠ける
では「心」は「感情」はどこにあるのか。「脳」はそれらの器でしか無いように思える。そう言った物は、何処か別の所から来ているように感じられる。そこに宿っているのが「魂」であって、生き物の「個」を決めているのは、それなのでは無いかと考えている

それが証明されるかどうかは別として
物質世界に存在しているモノは、その時そこにあるべき姿が唯一無二であると言える
例えそれが岩のひとかけらであっても、一時の流れる風の流れであっても、その時あったモノが全てだ
いかなる存在であっても、「それ」と全く同一のモノを造りだし、「それ」と代えることができる力を持たない

別にキラ・ヤマトを肯定するというわけではないが、「命は何にだって一つ」なのは真理をついた発言だ
だって、同じ金型で作られる、Aという物体は、どれだけ突き詰めても金型Aのコピーに過ぎず、A’であってAではないでしょう?
しかし、金型から造られるモノならば、「金型に原料を入れる」という行為を行う「時間と労力」を支払えば、その対価としてA’は確かに手に入れられる

だが貴方は、「命」のコピーを作ることはできるか?
「命」を、「時間と労力」を支払うことで、得ることはできるか?
否。誰も出来はしない


ペットショップで売られている生き物たちに付けられている値段。アレも断じて彼らの命の値段では無い
アレは彼らが商品棚に並ぶまでにかかった必要経費であって、個体に付属する「命」は評価値など付けられない
さらに、もしもクローン技術が発達して、生物Aのクローンを作ることが完全確立したとしても、できあがったクローンは生物A’である。どんなに頑張ってもAではない
生物的雄と雌が新たな命を生み出す行為も、(雄/2)+(雌/2)であるから、完全新規の存在である
何処かで失われた命の代わりには、絶対にならない
まして金などに換算出来るはずも無い
つまり、対価を支払うことができない行為だと、断言出来る
それは物理世界の大原則に反する行為である

通常の食物連鎖の中では、捕食者は被捕食者の命を「奪う」のではなく、むしろ「受け容れる」
それらと共に生き抜いて生き抜いて、最後は大地に骸を返すことで新たな命の苗床となる
それが生き物が支払う「代償」だ
だが、「殺人・殺害」は、相手を否定する行為であり、無に返すことである
そこには何の価値も無く、生み出すものも何も無い
そのようなことが許されるはずがあろうか

だから「やってはならない」のだ
責任が取れないことを「やってはならない」のだ
「ならぬものはならぬのです」なのだ


ここに変な難癖を付けて、「殺人・殺害」を正当化するのが、実は宗教や哲学である、という矛盾がある
そのようにして西欧諸国は、アフリカや南米で黒人を家畜として扱ってきた
スペインが南米に到達した時、船乗り達は聖職者に現地人をどうすべきか聞いた
答えとして聖職者は、キリストを信じぬモノは人では無い、よって殺戮しても構わない、と応えたという

この物理世界に「神」なるものが積極的に干渉せず、その力を示してこない以上、貴方はどう頑張っても命の対価を提示出来ない
貴方の命自体も、対価の存在しない唯一無二の物である
失われるのは怖いはずだ。当たり前である。還ってこないものだから
そして貴方の命は、他の誰の命とも等価値では無い
例え罪を犯した者を死刑に処しても、奪った命は還ってこない(だからと言って死刑反対では無い。むしろ死刑はあるべきであると思う)

この矛盾を解決出来ないなら、誰しもが決して「殺人・殺害」を行っては「ならぬのです」

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テーマ : 日記・雑記 - ジャンル : ゲーム

2014/07/21 10:55 | 雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

しょうもない理由で殺人を犯すニュースを見るたびに命の尊さが欠落していると思う、ゆとり教育と少子化が最悪の状況で効果を出していると思います。後現実と空想の分別が付かないのも……

No:4765 2014/07/26 19:38 | YF-19k(kyousuke) #vOF08ZPo URL [ 編集 ]

ゆとり教育と言うより

「ならぬものはならぬのです」を教えてないことが問題では無いかと
・・・ああ、なんかもう一個話題ができちゃった
詳しくはそちらで・・・

No:4766 2014/07/27 10:07 | あるす #- URL [ 編集 ]

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