【書評】中公新書『昭和天皇』から、天皇制とアジア世界を考える

つい先日、やっと読み終わった書が有ります
中公新書の『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』(古川隆久 著)である


この本自体は2011年の刊行であるのだが、なんと新書版にして約420ページに及ぶ内容と、購入後の精神状態の問題も有り、今まで手を付けられなかった代物であった

今、これを読み終わって先ず思い描くことは
自分は学生の時代、いかに目隠しされた近代史を教えられてきたのか、と言うことに尽きる
断っておくが、自分は右や左には興味は無い
人間が人間として、一人一人が生きていくことが大事だと思っているだけだ
ここでは思想について語るのでは無く、この新書から発展して、様々に思い描いたことをまとめたいと思う


天皇制は、アジア世界だけでなく、世界全体を見回しても、非常に特異なものであると言える
これだけ長く続く王権が類を見ないこともさることながら、主に武では無く呪で人民に影響を及ぼし、祭祀の面で際立った支配力を行使してきたのが特徴と言える
その証拠であるように、未だに正体の謎めいた三種の神器を代々引き継ぎ、1500年以上の歴史を積み重ねてきた
そうであるにも拘わらず、現実の「今上天皇」陛下が御所に居られる。陛下は今、125代目であらせられる
もちろん、所在の怪しい代も有るには有る。だが、神代の天皇を仮に無視するとしても、100代を超えることは確実だ
このような「家」は、日本天皇家をおいて他に無い

この歴代の天皇の中で、恐らく最も研究され、また議論の的になったのが、他でも無い昭和天皇陛下であろう
陛下ご自身については、特に終戦直後からであるが、様々な書が発行され、研究者による解読本が多く出回っている
その中でも、陛下の人生をなるべく俯瞰して、感情無しで記録をまとめたのが、先に紹介した『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』である
自分は昭和と平成をまたいだ年代である。それ故、昭和天皇の晩年については、おりに付けメディアで触れることも多かった。しかし前段で述べたとおり、当時の社会史・・・特に第二次世界大戦についての勉学は、お世辞にもしっかり行われなかった。またさらに、昭和天皇に対する説明は一方的で、まともな天皇家の在りようなど、どの教師も深くは語ろうともしない時代だった
その後自分も、自ら歴史を学ぶべき時間を持つことができるようになった
以前から有った、陛下へのモヤモヤをすっきりさせたい。それゆえにこの本を手に取った経緯があった

さて、なぜ昭和天皇が、多くの研究の的となるのか
それは紹介した書にもあるように、著しく流れる時の流れの中で、最先端の知識と引き継いできた皇家の伝統とを融合させながら、先進国家での君主制を確立しようと夢見つつ、その中で多くに挫折し太平洋戦争の災禍をご経験され、その為に負った責務を御自覚されつつも、崩御のその時まで理想を追い続けた、この壮絶な御人生故であろう
さらには、皇室の長というお立場の関係上、例え象徴天皇となられたとしても、その一言一言に重きの有る御方で有る故に、お言いになりたいこともままならず、一部の引き合いに出された「中立的な」言だけが一人歩きし、最後まで真意を胸に秘められたまま、辛く長い在位を過ごされたためでは無いだろうか

そういった陛下の生い立ちから崩御までを、本書は歴代の侍従や内大臣、陛下ご自身のメモなどを複合的に検証し、実証的な観点に立ってまとめているのが特徴である
特に、多くの場面で一方的に評価されがちな、太平洋戦争突入前から突入後については、見ているこちらが胃が痛くなるほどお辛いことであったろうことが、容易に分かるほど詳細である

陛下は徳治の王として、憲法の守り手として、常に文民の意思を尊重しようと心がけた
だがそれ故に、法を改悪するもの、法をねじ曲げるもの、徳を笠に着て不徳を行う者に翻弄され、力を発揮する機会を失ってしまったのだ
ここに至るまでのことなど、学校では決して教えてくれない
だがこれは日本国民として、必ず知っておきたい歴史の重大な部分である
このような「治める者」と「人民」の関係の破綻こそが、国家の悲劇を招くのだという検証結果こそ、今国民の知識として不可欠である


本書を読むと、太平洋戦争や日中戦争勃発の火種は、既に明治維新の時点で萌芽していたことが、よく分かる
民権運動の高まりを恐れるあまり、明治憲法にて天皇を神格化し、その絶対性を持って国体を支配する方針を示した明治政府の行いが、やがて神を操ることで利権を得ることを知った陸軍の暴走を招いた
しかし昭和天皇は、憲法を遵守する君主にこだわるあまり、逆に憲法解釈を引き合いに出し、自らこそが天皇の忠臣であると豪語する陸軍を咎める機会を失い、結局のところあまりに多くの災いを日本に招き混んでしまったのだ
また、国民自体にも意識が足りなかった。これもまた明治政府の教育方針故、日本国民を神の臣下とし、世界希有なる民なりという意識を高める面はあっても、情勢にあった変化を認める教育を怠った
そのために陛下は、導こうとした民にさえ裏切られたようなものであった
と言うよりも、徳治政治を行う土壌が、実は日本国民には不足していることを、陛下がお気づきになられたのは、太平洋戦争一歩手前の頃であったこともわかる


徳治政治とは儒教に曰く
「人徳有る王者がよく民を治めることで、民はその徳に感化されて善性を発揮し、それによってより良く国が治まる」
と言う考え方である

昭和天皇はこの教えに基づき、自らの徳治を大日本帝国の隅々に広げ、平和な国民を育てようとしたのである

日本で王朝交替(政権では無い)が起きなかったのは、「易姓革命」が起きなかったからである
儒学の中でも、主に孟子の説いた性善説による解釈によれば、国を治めるに相応しい聖君は、天命によって「天」により任ぜられ、その王権を民が支持することにより、初めて支配者たり得るという考え方だ
一見すると、何処か神秘的な響きのある考えだが、これは実は非常に危険な思想である
現状の王朝の非を指して「不徳」とし、それを民が支持すれば、力ある者は「天命を受けた」と称して王を誅しても、それを「簒奪」と批難される謂われは無い、ということになる
大陸において王朝の交替が激しいのは、こう言った「天」による王権の正当性の考え方が影響しているのだ
(参考文献:諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

これをファンタジックに描いたのが、小説『十二国記』であると言えよう
十二国のある世界では、天の意を麒麟が明確な形で天命として、突然ある日一個人に授け、聖人君子であれと押しつけてくる。目に見える形での天命受諾であるため、指名された者も見守る民も意見することができない
しかし麒麟も天の声を実際聞いているわけでは無く、主上となった者も天の意を聞くことは無い
ただ、選ばれた者は麒麟から、徳治を行うように言わるだけだ
確かに、徳治を行える者は、長く平和な国を作ることができる場合もあるようだ
しかし天は民の怨嗟の声を聞くと、さらにその民に試練を与えるかの如く、天変地異を起こして麒麟と君子をなじる。ここに至って「心ある」近臣が、己の「善性」に従って王を誅して、新たな天命=麒麟を求めることを欲するのである

ではなぜ、中国文化を多く吸収し、唐代の律令なども導入した大和朝廷において、このような易姓革命のきっかけが訪れなかったのか
これについては諸説在るが、自分は古代の大王(おおきみ)、そして天皇という存在に至るまでが、先ず第一に大和国の最高神を奉る司祭長であったことにある、という説を採る
天照大御神に通じる「神力」を持つ、犯ささざるべき聖君主の側面である
またその後の朝廷の歴史において、参議達の合議によって決まった内容について、帝が「徳」によって判断して宣下するという形を採るようになって以降はさらに、天皇が日本国における「徳」の最高峰の存在だ、と考えられたからでは無かろうか、と捉えることもできる
さらに日本列島特有の「閉塞性」が、文明・文化の平均化を偶然にももたらし、征服される側とする側での概念上の差がそれほど無かったのも幸いしたのであろう
事実参考文献では、もしも鎌倉時代にモンゴルの征服が成功していた場合、皇室がここまで存続することはあり得なかっただろうと述べている

さて、「徳」とは変わること無い仁愛や誠が発揮された姿である。それはいつでも天に輝き、分け隔て無く光と暖かさをもたらしてくれる太陽の平等性にも通じる
それは穢されることが許されない、護られるべき人間の善性その物とも言える

これに対して、古くは貴族達、鎌倉以降時代は武家達は、そう言った「徳」を完全に発揮しえない「俗」の存在で在ったと言える
「俗」である自分達が、それでも民の上に立つにはどうしたらよいか
そこで天皇の「徳性」である
「俗」立つ自分達は、「聖なる」君子の「徳性」をお守りするため、徳の光の恩寵を受けながら、あえて俗なる政治を代行するのだ、というスタンスであったのでは無いのか
そのためには自らが「徳治の王」に成り代わるより、その権威を長く持ち続けてきた天皇家を、そのままそっくり存続させた方が、時の権力者には都合が良かったのでは無いか、と考えている
それはまるで、太陽の前を横切る姿の定まらない雲のようにも例えられる
雲はいくらでも生まれては消え、時に太陽を覆い隠すが、そのような「不徳」を犯した場合は、必ず「徳」在る天皇より命を受けた忠臣が現われ、不徳の者を追い払うのである
つまり日本において「天皇」は、まさに中華思想の「天」でと同じであったのではなかろうか
(参考文献:天皇の日本史 (平凡社新書) 及び 歴史のなかの天皇 (岩波新書)
戦前の陸軍(特に関東軍)は、この「天」の扱いを、最悪の形で「誤って」利用してしまった、と言える
関東軍司令から侍従武官長に就任した、本庄繁という人物は、昭和天皇が武力行使に消極的であることについて、常に不満を述べていたという記述がある。それを諫めるべく、東久邇宮稔彦王にまで、陛下に御注進いただきたいとまで言っている。要するに、天皇の権力を利用して軍を進めたいのに、それに陛下自身が同意しないのが不満だ、と皇族を通じて主張して欲しいと言っているのだ。実に浅ましい

しかし当時、関東軍は中国内部において、着々と満州国建設を狙って動いていた
帝国の時代末期、暴力による支配が正当化される風潮の中、その熱気に当てられたマスコミも国民にも、陛下の徳治の概念はもはや時代遅れとして通ずることが無かった様が、本書でありありと分かる
とはいえここに至るまで、陛下には「王」として、その「権限」を発揮すべき場面が、幾度もあったことも指摘されているのを見逃してはいけない
そのほとんどは、皇室を政争に巻き込むまいと危惧する近臣の諫言や、陛下ご自身のタイミングの悪さから失敗に終わっている。ただ、過ぎた歴史にもしもは無いが、せめて何処かで御親政が上手く行っていれば、あるいはあれほどの大戦争に日本が足を踏み入れる危険は、何処かで回避できたのでは無かろうかとも思ってしまう
そう思わせることができる記述があるということで、本書は歴史書として重要な役割があると、もう一度述べておく

やがて敗戦となった後、戦争責任を一生の十字架として背負うことになった陛下であったが、公人であるが故に思い切った発言ができぬままであられたことも、充分に記述されている
しかし腹が立つのが、負けたら手を返したように、陛下に「戦争の責任についてどうお思いか」と問うマスコミである
よく知った人に今更言うまでも無いが、満州事変を境にして、陛下の日常を隠し、現人神としての側面のみを報じ続け、国民を浮き足出させていたのは、他でも無いマスコミなのだから


今上天皇陛下は、本日御年81歳となられた
普通の人であれば、既に隠居しておかしくないご年齢にも拘わらず、譲位が法律上許されないことから、今でも祭祀として、日本国民の平安を願い、毎日の祭祀を欠かさず行っておられる
もしこうした昭和天皇陛下の姿が、戦前でも報じられ続けていれば、あるいは国民とて陛下の本心に思いを馳せるチャンスも有ったであろうかと思う

だがこれにも問題が無いわけでは無い
今の世代は、天皇家の在り方について、まともに教えられているのだろうか?
もしかしたら陛下らは、ただ漫然と桜や梅を見つめ、和歌を愉しんでいるだけだ、などと思っていないだろうか?
先にも述べたとおり、昭和天皇の理想の挫折は、国民との意識の乖離であった
それが今上天皇陛下の代においても繰り返されては居ないだろうか?
徳治とは、よく教育された民が有って、初めて実現するのだと言うことを、この本はよく教えてくれる

結局昭和天皇は、明治維新の負の遺産を、思いがけない形で背負わされ、ご自身の理想と現実の乖離に失望しながら、それでも最後まで立憲君主の責務を果たそうとして、命を燃やし尽くされた方だったのだ
ここまでしっかりと、「王」たる方の苦悩と挫折を、詳しく知れる書は稀であろう
是非若い人にこそ、この書を読むことをお薦めする
ただし内容上、所謂漢文調の物言いが多数出てくるので、古語の勉強をしておこう
通常翻訳が望ましいが、現代語に翻訳すると意図が伝わらない場合もあるので、恐らくあえて原語のままなのだろう

なお末文として、天皇家をよく知る手がかりの「三種の神器」の考察本として、三種の神器 学研新書をお薦めする
神器の実在如何よりも、皇室の神権政治における神器の立ち居位置と、その歴史をよく知ることができる

我ら日本国民は、最も長き歴史を持つ王朝の民として、「君臨すれども統治せず」の意をよく理解し、「俗」なる政治屋達に「俗」なら「俗らしく」、どう政治を担わせるかを考えなければならない義務があるのだ
そのためにもぜひ、皇室というものを、昭和天皇という存在を知って欲しい
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

2014/12/23 23:23 | 雑記COMMENT(4)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

政争にする愚民国家は王朝を滅ぼしている

私自身ネトウヨ(ネット右翼)ではないですが、日本人としては天皇制をその時代に適合して残せばよい……日本とは皇族と共に歩んできたのだから。まあお隣の半島国家は気に食わない人が多いですが政争するから李氏朝鮮王朝は列強進出に耐えきれなかった、何よりも当時の半島国家の民は危機感が薄かった、結果論ですがそれが事実。それでも政争にするから未だに皇族が訪問されない。


日本の場合は宗教にしても良い所取りしてますからねぇ、文化庁の平成25年度各宗教統計調査によると信者が二重カウントしてますので信者数が日本の人口を超えていると言う事。

(……地理的要因も大きいかもしれませんが)

天皇制も中国からの最新の思想や法制度を日本人がアレンジ、戦後GHQが皇族に戦争責任を問わなかったのも仮に処刑を実行したら軍政するしかない上にゲリラ戦状態に陥り、共産主義の元祖にして大国のソ連が乗り出す口実を与える。こうなると東西ドイツや朝鮮半島の状況が日本で起きてしまう……米国としては色々とハイリスクを産み出す羽目になる訳です。当時は冷戦ですから。


(そもそも昭和天皇を戦犯リストに加える様に主張したのが英国連邦諸国ですが……)



No:4890 2014/12/24 12:35 | YF-19k(kyosuke) #vOF08ZPo URL [ 編集 ]

皮肉な話ですが

昭和天皇が最も愛し、手本にしたいと思って居られたのが英国であり、英国王室なんですよね

あと、アメリカの政策については、間違いなくその通り
この辺の対応の違いについては、アメリカと英国の国家の成り立ちと歴史の違いからでしょうね
尤もアメリカにしてみれば、その動乱さえ抑えられれば良いわけなので、華族や諸皇家を断絶させてますが

ただ、この一件冷徹な政策が、悔しいけれど戦後の復興が早かった一因なのは間違いないわけです
そーゆー意味では、パパブッシュが9.11があった後、イラクを徹底的に叩いちゃって、部族間対立を再燃させちまった辺り、マッカーサーやトールマンに学んでねぇなぁ、と呆れますが
(フセインは独裁者だったかも知れませんが、諸部族が乱立して小競り合いが絶えない中東地域では、そういう強権が無いと時として国が治まらないことも有るんですな)

No:4891 2014/12/24 22:21 | あるす #- URL [ 編集 ]

珍しく真面目な話ですね。

どうも、最近近所の情勢が怪しくてどうすればいいのかわからないイヴです。

確かにブッシュ大統領がイラクを徹底的に叩いて事態をこじれさせたのは何も学んでませんね。かのユーゴスラヴィアでさえチトーが死去した後に泥沼の戦争の末に分裂してしまましたし、中国人の先生も「中国は一人の強い人間が治めないと国として成り立たない」という趣旨の発言をしてました。
ここ数年の政治の迷走を見ていると、強権政治も必要なのでは?と思わず考えてしまいます。

天皇家に関しては、国民の持つ尊敬の意識が残されている限りは日本の精神的な要として時代に合わせて存続させてほしいですね。
フランスの王朝が滅んだのは運とタイミングが悪かったとはいえ、国民の王朝に対する尊敬と信頼が失われたことであのようなことになってしまった・・・で、あってますよね?間違っていたらすみません。

平安時代の昔から日本の権力者達は、天皇家の存在を使ってましたが・・・これからどうなってしまうのでしょうか?

No:4892 2014/12/26 11:33 | イヴ #YmY/60os URL [ 編集 ]

いつもは避けてるだけ

公的な場(ネット上)での、思想や論理の議論は、無駄な炎上を伴いますんで、いつもは書かないだけです
ただ、今回の書は非常に良かったので、今の若い人にこそ、真剣に王や政治家を理解して欲しい、と思ったんです

フランスのブルボン王朝に関しては、時代が悪かった、という点もありますね
自分で考えることを知った人が出てきたと言うこと
また、王家同士のヨーロッパ内部での騒乱
さらにはアメリカという新勢力の動向ど、混乱の時代でした

明治維新もある意味では、動乱の世の中故に起きた、徳川という王家の命運が尽きる時代だった、と考えられます
そう言った中でも残された天皇家が、日本にとってどれほどの重要性があるか
それがよく分かる本なのです

No:4893 2014/12/27 17:06 | あるす #- URL [ 編集 ]

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