【雑記】時代の進歩に思うこと

最近、Wiiを買おうかどうか、真剣に悩んでいる管理人です

と言うのも、近日配信予定のバーチャルコンソールのラインナップに、ロマサガ2が入ってるんですよ
移植がどうしようもなかったFF3もあるし・・・!
これでアトラスが『女神転生II』を入れてくれたら、マジで買いますよ

え、Wii買うなら『スパロボNEO』やれって?
それとこれは別問題なぁ、兄弟!(誰

にしても、そのために改めてWiiっていくらぐらいするんだ?とAmazonを見たんですけど
新品で22,000円ってどういうこと?(゚Д゚)
PS3じゃあるまいし、そんな高性能じゃないだろうよ、あの機体!?


さて、そんな古いゲームに萌えを見いだしている管理人が、2,3年前から思っていたことがあるので、この機会に書いてみようと思います

と言っても愚痴みたいな内容になってるので、お見苦しいところがあるのを、最初からお詫びします
ブログの本意であるゲームのレビューは、後10日後ぐらいからになりそうです


近年の漫画・アニメ業界では、過去の作品の続き物・リバイバル作品・リメイク作品・オマージュ作品が非常に多いように感じる
もちろんそれとは違う新作もあるが、そちらはそちらで奇妙な作風(萌えや非日常、または物語の根底が非条理である)のもので溢れているように思う

何故にそのような形の物が溢れているのか?
その原因の一つとして、今や漫画やアニメが子供の物ではなく、大人の物になっているからではないだろうか、と言う物を挙げておく
それはつまり、かつて子供の時代に、漫画・アニメにシンパシーを覚えた世代が、今社会で最も購買力のある世代となっている、ということである
あるいは、それらの世代が今や、アニメを作る側に回っている、と言うことも指している
こう言った方々(もちろん自分も含め)はたぶんに、「ああ、○○と言う作品を、今作り直したらきっと、綺麗で格好良く見られるんだろうなぁ」と考えておられる
それは各種動画サイトにおいて、リメイクや作り直しを希望するコメントが、かなり溢れていることからも容易に想像は付く
もし運良く(運悪く?)アニメ制作会社などにそういった人が就職していて、且つ作品を作ることができる立場に名を連ねたら、チャンスとばかりにお気に入り作品の復活に注力するのは、判らないわけではない
しかし、そういった復活作品の多くが、短命且つ芳しい評価も受けず、ひっそり消えてしまうのは何故だろうか
それは、時代が違うからではないか、と思うのである

作品が生まれる過程では、その時代背景が確実に影響している
そして、その時代に適合した内容であるから、世間から指示され人気が出るのは、なにもアニメや漫画に限った話ではない
だから、例えばマジンガーZがあの時代に、テレビの前に居る多くの子供達を魅了したのは、それが1970年代という時代に即した内容だったからなのだろう
マジンガーZは、敗戦によって落ち込んでいた日本が目指す、夢と希望に満ちた科学の象徴である一方、剣鉄也とジュンの『孤児院育ち』と『日米ハーフの悲運』と言った後ろ暗い設定は、当時の日本の時代背景の反映に他ならない
このような物語を、2000年代に新たな考えで復活させるとなると、元作品の時代背景と現在の齟齬が起きるのは、疑う余地がない


個人的な話で申し訳ないが
自分がまだ年端もいかない学生だった頃、「冷戦という物が終われば、世界は一つになる」と、ぼんやりとながら信じていた
国連という物に力があり、それによっていつか冷戦は終わるものだ、と思っていた
そして時代が進めば、科学という物が大いに人類を幸せにする、とも考えていた
故に、それまで語られてきた多くのアニメ、先に挙げたマジンガーシリーズや、その他の国際色のあるアニメにおいて、国連を中心とした宇宙開発や科学技術の進歩など、希望と未来に満ちあふれた未来は必ずやってくる
そんな風に思っていた

だが、実際に冷戦が終わり、やがてソ連が崩壊するに至って、世界に訪れたのは果てしない混沌だった。そして世は覆いに乱れたが、それでも人類は滅びなかった
なぜなら、偉大なる父祖達が命がけで教訓を残した、第二次世界大戦の様相を知る現代の政治屋達は、その轍だけは踏むまい、と言う浅知恵だけは働いたからだ
しかしそれがために、国連は思考硬直を起こし、何の有効手段も打てはしなかった
やがて、大国同士のにらみ合いの中で、無理矢理蓋をされていた、宗教や民族イデオロギーに端を発した恐るべき争いが、見る間に息を吹き返した
その様は凄惨を極め、それがテロという『敵の見えない戦争』を引き起こした
これによって、所詮人類は一つにはなれないばかりか、滅びることさえできないという、余りに馬鹿馬鹿しい現実を突きつけられることになる

さらに、科学という物が進歩すればするほど、今の人類の科学的限界が露わになるばかりだった
それ以前までに流布した、進みすぎた科学が起こす環境破壊は、人々に自分たちが行き着く世界の"末路"を端的に示してしまった
また、人が宇宙に出るという挑戦は、実は冷戦下での戦争への危機から起きていたことから、冷戦の終結がその熱を冷ましてしまった。それによる莫大な利権を失った研究機関は、姿を消して行かざるを得なかった
夢と希望は、金がなければ叶わないという、理想とはほど遠い現実が浮かび上がり出した
これによって、科学が人を幸せにしないと言うことを、我々は思い知らねばならなかった


だからこういう時代に、「国連が世界を動かす」という理想があった時代に描かれたマジンガーシリーズを蘇らせるには、その部分を現代風に差し替え、今を生きる人々が理解できる背景を入れた内容へシフトしなければならない。でもそれはもはや、「その作品をリメイクしたい」人の知っているマジンガーシリーズではもうなくて、大元である骨子がずれた作品になってしまうのだ

一方で、そういった"現実"を取り入れて作られた、多くのオマージュ・リバイバル作品では、余りにそれが現実的すぎてしまい、作品そのものが凄惨の極みに達していくことが増えていった
『機動戦士ガンダム』で、まだ未来はあると語ったあのラストから、現在に至るまでのガンダム作品の遷移を見れば、戦争の中で必死に希望を見つけるという内容から、非情な現実とそれを打ち壊すための特別な力のお話し、というものへシフトした流れが如実に見え、どんどんリアリティの根底からずれて行っているのが判る。この流れに軌道修正をかけようとした作品に限って、途中で頓挫しているから笑えない

ではなぜ時代背景を変えなければいけないのか
以前良いと言われていた作品で、しかもそのような評価を下した大人達をメインターゲットにしているのだから、そのまま作画だけ新しくしたって良いはずである
アニメ化が難しかった原作が、今なら作れそうだから挑戦しよう、と言うパターンも然り。事実、原作ほぼそのまんまの『HELLSING』は大いに支持されている
だがそこで立ち塞がるのは、商業的興業成功と言う、その作品の『売り物』としての勝利実現、と言う壁である
商品が売れなければ、それに対するスポンサーは現れない
だから売れる要素を、売れそうだと説得する要素がなければならない
時代に即した設定を埋め込むことで、スポンサーが納得するように細工せねばならない
スポンサー問題は、アニメや漫画が黎明期から背負ってきた性だ
これをクリアする要素がないのなら、設定は嫌でも変えなければならない
だがこうなっては夢もへったくれもなくなる
そのようにして埋め込まれた、余りにも現実的な設定が、夢を醒ましてしまう
そういう意味で、過去作品の引用というのは、特に今の時代にあっては非常に危険なのかもしれない

また、こうした分野から離れたオリジナル作品のほとんどは、そのほとんどにおいて「あり得ない日常」によって構成されているように見える
特に不条理な日常を描いた作品や、異様なスタイルの『萌え少女』達によるドタバタギャグなど、そうでなければ奇妙なほど燃えに走った、勢いだけの内容であったり・・・
そういった物が氾濫しているのは考えすぎだろうか
私はその理由もまた、今の時代において夢のある未来を考えられない、と言うことが関係しているのではないかと思う

以前も書いたとおり、SFとは現実の鏡である
過去のSFにおいて描かれた未来が、希望も絶望もありながら、それでも科学万能の世界であったのに対し、近年のSFは絶望の未来ばかりである
そうなれば誰しも、非日常へ倒錯したくもなる
自分たちが歩む道に夢がないために、あり得ない世界へ視点を逸らしてしまう
そんな風に見える
夢を見る力が無くなった現代において、生まれる作品に今ひとつの押しがないのは、実に悲しいことである

もちろんそうでない『当たり作品』もたくさんあるのは事実だ
そして、リメイクやオマージュがいけない、とは言っていない

例えば私は、『機動戦士ガンダム00 1stシーズン』は良作だと思っている。主人公にも対立する勢力側にも、容赦ない代償を求めて進むあのストーリーは、初代ガンダムを引き継ぐものとして良くできている
現在の多国籍時代を上手く使い、その中でのガンダムという存在が非常に上手く扱われている
新しいガンダムを求める風潮と、冷戦後の世界を上手くシナリオに混ぜ込んだことが、あの商業的成功を導いた、と言えるのではなかろうか
それにしても何故、アニメにしてもゲームにしても、昔のモノのほうが異様に出来が良いと言われるのだろうか
例えば、『FFは6まで』と言う人は世の中にはスゴく多い。管理人も、そしてウチの周囲もそんな感じである
ところが、リメイクのFF3はどうしようもない出来だし、最新技術で作られているFF13が、ただのムービーと化しているというのが、一つの(悪い意味での)良い例とも言える
それはひとえに、かつては『できないからこそ頑張ろう』という部分があったから、ではないかと思う
自分の仕事を例に挙げれば、かつては一つのプログラムが使えるメモリ領域に上限がある故に、いかに効率よくメモリを使えるプログラムコードを書けるか、と言うのがプログラマの腕にかかっていた
ファミコンやSFCのゲームも同じようなもので、貧弱なCPUと小さなメモリを使って、いかに表現力のあるものを画面に出力するか、が課題だった
プレイヤーの脳内想像力をフル活動させるべく、あの手この手の小技でゲーム世界を創り出したかつてのゲームプログラマー達には、頭が下がるという言葉以外かけられない
そして、プレイする側のほうも、それらのメッセージを受け取って『なるほど、多分こう言うシーンなだろうな』と、プログラマー達の描きたい世界を、一緒に考えたものである。プレイ時間が1年に及ぶことはざらで、周囲と情報交換をしながら、何周も遊ぶことが普通だった

それから10数年、ゲームハードは飛躍的な進化を遂げた
以前はできなかったことが、ある程度の投資でできるようになり、メモリも記憶容量もかつてとは比べものにならない
だがそれだけ『詰め込まれている』はずのゲームが、作られては一ヶ月もしないうちに話題から消えていく
それは最近のプレイ時間が、どんなに長くても3ヶ月程度と短く、年単位でプレイされることが希になり、ただ消耗されるモノになっていることに端を発している
加速する情報社会の中で、あらゆる情報があっという間に流布し陳腐化するため、誰もが常に新鮮なモノを求めようとする風潮故に、こう言うことが起きているのだろう

こうして時代の進歩をある方面から見るに、一つのことができるようになれば、代償に一つのモノを失う、と言うことが良く判る
そして過去を懐かしんでも、それは今という時代故に取り返せない
新しいモノを掴もうとしても、そこに希望を見いだせないため、動けない
何とも息苦しい時代になったものだ
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テーマ : 管理人日記 - ジャンル : アニメ・コミック

2010/03/08 21:59 | 雑記COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

こんにちは、このところかなり忙しくてSSを書く時間がなかったイヴです。

たしかに、最近以上に多い気がしますねぇ、オマージュが。
アニメは今となっては声優目当てで見ているやつかテレビつけたらたまたまやってたっていうのかのどっちかですし、たまに「あ、これ面白い」ってやつを見つけてもネットで検索するとアンチだがなんだか知りませんが関係する動画見ると「○○のパクリ」なんて書き込みがあってがっかりすることが多くなってきたのは気のせいでしょうか?
漫画も然り、大人向けはどうなってるかわかりませんが子供向けの(コロコロとかでやってるやつ)漫画はギャグかゲーム原作かどっかで見たことある作品ばかり。
しかも内容が師匠も言ったように非現実的で、たまに真面目な作品が連載されてもほぼ確実に打ち切りになる。
もうどうしようもないかも・・・・・。

ところでFFについてですが私は10までが最高だと思うんですけど、どうなんでしょう?

No:1763 2010/03/09 05:42 | イヴ #cnZdQCf. URL [ 編集 ]

右目がものもらい

おお、イヴさん、ご無沙汰です

> たしかに、最近以上に多い気がしますねぇ、オマージュが。
>(略
そう、冷めちゃうんですよね、アニメも漫画も、いろんな意味で
これは日本がオワタということなのだろうか?(極論

> ところでFFについてですが私は10までが最高だと思うんですけど、どうなんでしょう?
・・・7以降やったことないので、何とも言えません
とりあえず、7のお試し版で幻滅したワタクシにとっては、3Dが基本的に受け付けがたいのかも

No:1764 2010/03/10 01:05 | あるす #- URL [ 編集 ]

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